聖地をわたる午後の風は、やわらかく大地をなでていく。まるでそれは女王陛下の吐息のようでもあり、
優しい御手の感触のようでもあった。
午後の中途には、そこかしこで簡単なお茶会がひらかれる。守護聖の、そして聖地で働く者達の、
それぞれの趣に沿ったお茶会は華やかな午後の風物詩でもあった。
もちろん、お茶会をもようさぬ者も加わらぬ者もいるにはいたが、それなりに一息をつける時であったのはまちがいなかった。
「あんたのティー・タイムって、ホーントしぶいわね」
招いた覚えのない夢の守護聖オリヴィエが、勝手にせんべいをほうばりながら言う無体な言葉を、
地の守護聖ルヴァは他意のない笑顔で受けとめた。
「たまには焼きたてのケーキと、いれたての紅茶っていうふうにはいかないの?」
「あー、そういうのは、きらいではないのですが」
困ったように小首をかしげる。
「わたしはこちらのほうが、好きなんです」
なにもそこまで恥じ入ることもないだろうに、と言わせたオリヴィエのほうが呆れてしまう。
「わかってるって。そういうのが欲しければよそに行ってるわよ」
だったら、最初から文句を言わなければいいのに、とルヴァは思うこともなかった。
オリヴィエの言葉に、棘がないことも、そうしてずけずけと言うのを楽しんでいるのだということも充分に理解していたからだ。
そして、ルヴァもオリヴィエのそういった性質を嫌いではなかった。自分にはできないことをしてのける相手に、
尊敬の念すら抱いている。
「ねぇ?聞いた?まーた、あの4人が火花ちらしてるの」
「はあ・・・」
オリヴィエはルヴァの返答に肩をすくめる。
「仲良くしろ、とは言わないけどさ。どうにかなんないもの?あれ」
四人、というのがジュリアス・クラヴィス・リュミエール・オスカーを指すのだと言うことは容易に理解できた。三人と言われれば、年少組のことになるはずだった。
「そうですねー。でも、わたしには、なんというか、仲裁に入ることもできませんし・・・」
持った湯飲みを、しばらく所在なげに揺らす。
「そうなのよね。コトが表面化してるのなら、女王陛下の御下でなぁにわるさしてるの?って言えるんだけどさー。
一応、知らないことになってるから、口出しできないんだよね」
光の守護聖・ジュリアスが、夜に館をぬけだすという噂を聞いたときには、オリヴィエなどはお気に入りのパフュームを
落としかけたものである。
それが闇の守護聖・クラヴィスのもとへなどと言われた日には、笑うしかなかった。
事実と知れたときには、笑う余裕も失ってはいたが。
「ばれてないって思うあたりが、間が抜けてるって思わない?」
あら、このおせんべおいしいわね?などと言いながら問いかける。
「あー、ジュリアスは、そうですねー。意外なところでなんというのか知らない、ことがあったりするからですね」
ルヴァは、まだオリヴィエが聖地へと赴く前の女王試験であったことを思い出す。
その時、金の髪の女王候補にクラヴィスがどう思いを抱いたか、それがどれほど後にクラヴィスへ影響されたかを・・・ジュリアスは知らない。
「そうなのよね。鈍いのよね!ホント」
あっさりとそう言われると、ルヴァのほうが困ってしまう。
「学問とか、与えられた任務なんかには、頭をつかうくせに、他のことはからっきしだめなんだよね。
らしいって言えばらしいけど、ホントはた迷惑よねー。今日もさ、オスカーとリュミエールがばったり会ったわけ。
その場の空気が凍っちゃったわよ。知ってるこっちだってひやひやしちゃってさー。どうにかなんない?あれ」
オスカーとリュミエールがそれぞれに守りたいもののために心を痛めていることは知っている。だが、ルヴァだとてそういうことには疎いほうなのである。
仲立ちなどできようはずもない。
「仕事に支障は来してはいないようですし・・・。どうしましょうかねぇ」
「職場の環境ってけっこう気にするのよね。わたしは。あんな気まずい雰囲気じゃ守護聖なんて言ってるのが笑えるよ」
「それに・・・ゼフェルたちのことも・・ありますしねー」
「そうそう、ガキたちに影響でるんじゃない?知ってるのかどうかは知らないけどさ」
すでに冷めかかっているほうじ茶を、まだ両手でもてあそぶ。ルヴァにしても、これがいいことだとは思ってはいない。
守護聖にとって自由は限られたものである。気ままに旅をしよう、とかしたいことをする、などということは認められない。
守護聖として、たとえ休日であったとしても宇宙の波動を感じなければならないからだ。
むろん、いやだと言ってもそれは感じずにはいられないものだが。
ある意味で守護聖はそれぞれの持つサクリアの触媒でもあるのだ。サクリアが波動を止めぬ限り、
本質において自由などはないのだ。
そして、その波動が止まったときには・・・守護聖ではあり得ない。
聖地を追われ、本来の時の流れに身をゆだねなければならない。
「だいたいどーゆーわけで、あの二人がくっつくの?性格あいそうにないじゃん」
「正反対だから・・・そうなるのかもしれませんね」
ルヴァが遠くに思いをはせる。
「ないものを求めてるってわけ?」
「ほんとうのところは・・、わかりませんけどね。ジュリアスは小さい頃から光の守護聖になるべき存在として扱われ・・・
事実すぐにそうなったわけですが。あー、ある種の緊張感を持つことを強いられてきたと思うんですよ」
そこで、ほっと一息つく。
「ですから、自由というものがなくて・・・」
オリヴィエは、内心いらいらしながらも辛抱強く待った。
「他人にどう評価されているか、ではなく自分が見てどうか、ということをとても気にする人ですし・・・
なかなかに辛い立場だと思います」
「で?それがどうクラヴィスとつながるの」
オリヴィエはそれが聞きたいのだ。自由がないのは皆同じ。同情するには値しない。
「オリヴィエ、あなたは自分の性格をよく知っていると思っています。そのー、自分がしたいことも、また・・・長所も短所も。
わたしも、そうですね。空しくなるときもどう対処したらいいのかわかっています」
「そうね。あんたは本を読むことで、わたしは美しくなろうとすることで気持ちを切り替えてるからね」
「ジュリアスにも、チェスや乗馬など・・・あるのでしょうが。まったく人の目を気にしないでいいものではありません。
・・・なににでも完璧を求めてしまうので」
ルヴァは疲れた、とでも言いたげに肩を落とした。
「どういうことでそうなったのかはわかりませんが、もしかしたら・・・ですよ。
もしかして、ジュリアスはクラヴィスといることで羽目をはずせているのかも・・・そういうふうに考えてみたりもするのです」
「そー?クラヴィスといればケンカになるだけじゃないの?顔をあわせれば嫌み言ってるか、にらんでるかじゃない。
同じなれあうなら・・・そうよ、オスカーなんかのほうがよっぽど性格にあってるんじゃないの?別に守護聖である必要もないし、
聖地にはいくらだって他にも・・・」
ルヴァが首をふる。
「今まで否定していたことに対して、そうふるまうことが・・・なにかしらジュリアスの琴線にふれるのだと思うのですよ」
ちっ、と小さく舌打ちをしてオリヴィエがげんなりしてみせた。
「ややこしいわね。本当のこと言ってわたしはどーでもいいのよ。ただね、落ち着かないのが、やなの!
腹のさぐりあいしてるみたいで!」
「あなたは本来素直な人ですからね」
にこりと笑われて、オリヴィエが照れくさげに目を細めた。
「いやだ。そんなんじゃないわよ」
「相手が守護聖である、ということは無意識の選択でしょう。あなたがマルセルや若い人をからかうように、
わたしがゼフェルの世話をするように・・・。同じ時を過ごす者を求めるのでしょうね」
それにはオリヴィエも、そうね、と相づちをうった。
「どうしたって、そうなるわよね?みんなここに来るまでにいろんなしがらみを断ち切っているわけじゃない?
親や、恋人も友人も・・・。だって、時の流れが追いつかないからね。聖地をあとにして故郷にもどったときに、
いったい誰を探せばいいの?っていう感じよね」
「きっかけがあったのだとは思いますが・・・」
「ジュリアスはそれでいいとして。で?クラヴィスはどういうおたわむれなの」
それはルヴァにしても、口に出しては言えないことであったた。クラヴィスが失ったものを誰の上に見ているかなど・・・
そして、失ったものが彼の人であればなおさらのこと。
「クラヴィスはいつも、求めているのだと思います。清く正しい、高潔なものを。いつかそれが自分を変えてくれるのだと・・・ああ、でもうまく言えません」
「ふぅ〜ん。ルヴァの話しを聞いてると、あんまり楽しいことじゃないみたいだね」
「仮定があっているなら、あまり長引くことではないでしょうね」
「そう願いたいわねー」
ジュリアスは自分にも完璧を求めるあまりに、人間の中に根付く欲望の深さを見失っている。
それはルヴァにすらあり得るのだ。だが、オリヴィエもルヴァもそれの存在を知っていて、なお恥てなどいない。
恥じることはないのだ。
迷いも未練も執着も、すべてが人間を構成するものなのだから。そうやって生きていかなければならないのだから。 クラヴィスの執着を、ルヴァには笑えない。彼の人があまりにも気高い方であったからこそ、クラヴィスも心を動かしたのだ。そして己を断ち切ってしまわれた、と思っているからこそ暴挙にもでる。
そういうことではないのだ、とルヴァが教えて上げられればよいのだが・・・
「やめた、やめた!辛気くさいこと考えてたらルヴァになっちゃう!」
「はい?」
「わたしには似合わないよねー。そういうわけで、ごちそうさま!」
軽く手をひらめかせて、来たときと同様、オリヴィエは唐突に去っていった。
しっかりとおせんべは食べ尽くして。お茶をおかわりして。
「オリヴィエ。あなたがほんとうは一番成熟した精神の持ち主なのかもしれませんね」
ルヴァなどは、実はそうとうジュリアスたちのことに頭を悩ませているのだ。
女王陛下のお膝元の珍事は、ルヴァの精神にかなりの負担をかけさせる。
年長者として、それなりのことをしなければ、と思いつつルヴァの出る幕ではないだろうとも思うのである。
来るべき、女王試験がなにか新風を吹き込んでくれるだろうか。
ジュリアスもクラヴィスもルヴァも、すでにかなりの時を聖地で過ごしている。古い考えから抜けだせないでいる。
若い守護聖たちは、まったく別の考えでそれぞれに任を果たしている。
変わらなければならない、とルヴァは目を閉じた。あまりにも時の流れを止めすぎたわたしたちは、きっと新風をまぶしく感じることだろう。
ルヴァはいつもより長くお茶の時間をとりすぎたことに気づき、ようやく立ち上がった。
まだ悩む心を持ちながら、そしてなにかに期待する気持ちとをあふれさせながら。
とんとん、と肩をたたいて執務室へと戻って行く。なににしろ来るべき日、が近いことを知りながら。